ブログの更新がず~っと滞っておりました。

そうか、この前のブログの記事によると
息子は高三生で、受験真っ只中だったのかぁ。

そんな息子は、現在、二浪生でございます。
娘が高三生で、受験真っ只中を迎えております。

今期、二人とも合格してくれたらなぁ。

と、こんなところで呟きつつ
私の博士課程進学の野望は、子どもたちが
大学生になった後になりそうです。

子どもたち頑張れ~!!!

入試真っ只中

2014年1月28日 日常
大学受験真っ最中の息子を横目に
私の心もザワザワ・・・

息子は、ほぼ確実に浪人するし
現在、高校1年の娘も
これから受験モードに入るし
ならば、私もそろそろ始動しようかなと!!
3人で、受験モードに入れば
それぞれ切磋琢磨して頑張れるかなと!!

昨年は、母を喪失した哀しみで
下ばかり見ていたけれど
そろそろ顔を上げて前に進もうかな。


そして秋の訪れ

2013年10月15日 日常
巨大な台風の接近で
今夜は、関東地方も警戒が
呼びかけられていますね。

母の墓地は、東京郊外の庭園墓地なのですが
薔薇がそこかしこに植えられていて
墓地全体がいつも花に囲まれています。

そう、その墓地の契約も311後半年ごろ
「いつ何が起こるかわからないから」
と、終活の一環として
母自身が済ませていました。

この台風の暴風で、薔薇の花びらも
きっと散っていることでしょう。。。

私は、あれから母のことを思わない日はありません。
考え始めると止まらなくなるので
わざと忙しくしています。

この二か月間は介護食士2級を取得するために
調理学校へ通っています。
私の原動力は、現実逃避ですね、、。
ふぅ。



そして春の訪れ

2013年3月24日 日常
暑い夏に母が他界して
季節は冬を経て
春を迎えました。

あたりまえだけど
母はやっぱり生き返るでもなく
5月に会ったっきり
7月末に電話で話したっきり
音信不通です。。。

その間、私は
さまざまな決められたイベントや
ミッションを遂行し
大きな体調の崩れもなく
過ごしています。

この喪失体験を
どうやって乗り越えていったらいいのか
途方に暮れています。

まだ実感もないし
実家に帰ることが怖くて
現実逃避はしばらく続きそうです。

そんな中
娘は中学を卒業して
春から高校生です。
中高一貫なので
受験もなく平和に進級してくれました。
もし、この半年間の私の精神状態で
娘がガチの高校受験に臨んでいたら
極度のストレスで
私は体調を崩していたかもしれません。

そういう意味でも
今回の母の急死は
不幸中の幸いで
私自身の生活に
最も支障の少ない時期だったのかもしれません。


しぶとい爺さん

2013年2月18日 日常
今日は、義父の検診の日でした。
胃がんで全摘出して
肝臓にがん細胞が見つかって
ラジオ派で照射して
その後、がん細胞は消失したそうです。

ふむ。おめでたいことです。

83歳の爺さんが一線を退かない限り
夫は主導権がないまま
45歳を過ぎ・・・
いつになったら一人前と認めるのか・・・
ほんとに、しぶとい爺さんです。

4ヶ月経って

2012年12月10日 日常
昨日は、四回目の月命日でした。

先月下旬に、無事に納骨も済んで
今頃、冷たーい地中に眠っているんだろうけど。
火葬の時に、一かけらのお骨をもらったので
私はそれをこちら四国に持って帰って
新しい住まいの客間の飾棚のところに祀っています。
その客間は母が5月に四国に来た際に泊った部屋で
そして、その時が母との最期の再会でした。

先月、実家に帰ると
やっぱり家の中のほころびが出始めていて
兄と父との二人暮らしでは
全然、手が回っていな感じでした。
叔母や妹が時々、足を運んではいるみたいだけど。

私は私の生活があるし
何もしてあげられないけれど
というか、何かしてあげたい気持ちと
実家に帰るのが怖くて(現実を受け止めるのが怖い)
結局、四国でじーーっとしているって感じです。

その点、兄と父は、母が居なくなったことを
毎日、実感して、毎日、母の居ない現実を補って
生活しているんだから、大したもんだと
へんなところに感心しています。

私もいつか、死ぬんだろうなぁなんてことも
最近、よく考えるようになりました。
衝動買いで買い込んだ
くだらないものも、残された家人が見たら
「こんなものよく集めたな」って
呆れられるだろうな、とか
価値が分からずに捨てられるくらいなら
今のうちに、使うなり、然るべき所に売るなり、譲るなりして
おかなきゃね。

2ヶ月たって

2012年10月8日 日常
明日は二回目の月命日です。

未だに母がこの世にいないことが
信じられません。
というか、日常生活が生前となんら変わらないので
全く実感が湧かないのです。

昭和21年、岩手生まれの母は
教師を目指して上京して
大学に進学するはずが
予備校に通いながらバイトをしていたところ
広島から上京して一旗揚げようと志していた父と出会い
父をサポートする道を選んだのでした。

思えば、良妻賢母を幸せだと信じて
妻からも母からも開放されることなく
生涯を終えてしまいました。

教師の夢を諦めずに
違った形(公文の先生とか)でもいいから
実現してほしかったなぁ。
「先生」って呼ばれてみたかったんだろうなぁ。

母との別れ

2012年8月22日 日常
2週間前に
私の母が65歳で他界しました。

津波で幼馴染の大親友が亡くなって
その2ヵ月後、母が上京して以来の
大親友も心筋梗塞で急死して
ずっと寂しそうにしていましたが

母までも、急死してしまいました。

父が、もっと心の支えであるべきはずなのに
父とは、もうずっと前から心が離れていたため
余計に、女友達の支えこそが
生きる糧になっていたのでしょう。

はぁ。。。

40歳を迎えた私に
待ち受けていた試練が
母の喪失体験とはね、、。
なんとなく、40代はそういう喪失が
待っているんじゃないかって
うすうす感じていたんだけど
それがまさか、母だとは・・・。
脂肪肝で糖尿病の父の方が
先に逝くとばかり思っていたよ・・・。

はぁ。。。

そして、日常

2012年7月1日 日常
義父の二度目の処置入院も
無事に済んで、元気に職場復帰しています。
おそるべし83歳!!

義父の場合、門脈に接触する形で存在するがん細胞に
ラジオ波を照射し、さらにその場所に
油性のエタノールを注射することによって
がん細胞を破壊するという治療でした。
誤って、門脈を傷つけてしまうと
大量の出血を伴うので、最悪の場合、死亡するケースもある
という説明だったようです。

そんな訳で、義父と夫の確執も復活して
相変わらずの毎日です。。。

先週、30代~40代女性7名で、ある企画の打ち上げを
古民家をリノベーションした居酒屋でしたんだけど。
7名中、私一人だけが既婚者で
ワイワイと盛り上がったわけだけど
なんとも言えない違和感を覚えたのでありました。
皆さん、ステキで、キャリアも積んで
自分の時間もたっぷり持っていて
夢を語ったり、エステの話をしたり、ダイエットネタで
実際にエクササイズをやってみたり、失敗談とかして、、。
ほんとに、お腹を抱えて笑える時間だったんだけど。

そういう雰囲気の中ではさ、夫や子どもの話は禁物だし
それほど気を使って、言わないようにした訳じゃないけど
「夫や子ども話」以外の話題を私から出すことに
躊躇しちゃって、なんか、みんなの話を
一歩引いて、聴いてる感じでした。

これが、ママ友だと真逆でさ
夫や子ども、学校の先生や、近所の有名人の話一色で
ママ自身の将来の夢とか目標の話なんて
一切、出てこないでしょ。

この隔たりって一体何なんだろう・・・。

P.S
そういえば、糖尿病療養指導士、合格しました!!
これからは、糖尿病の患者さんの指導もガンガンしながら
研究的視点を持って、地味な大発見をしたいと思います!!

義父さんの入院治療は3泊4日で終わり
来月、再び、処置のため
2泊3日の入院を控えています。
とりあえず、いたって、元気なので
大丈夫だとは思うんだけど
「万が一、処置中に急変して死んだら・・・」
という場合に備えて
日々、義父さんから
事務、経理上の必要になるであろう書類の置き場所などを
申し送られている今日この頃です。

その申し送りの話の中で必ず
孫(私たちの子ども)のことまで心配していて
「この家を継ぐときに困らないように・・・」
と、お墓の囲いを新しいものに工事したとか
蔵の屋根を張り替えたとか
白蟻の予防の薬を散布してもらったとか・・・
強迫神経症レベルで将来のことまで気にかけているので
私まで、将来に対する不安が大きくなってしまって
凹んでいました。

ところが、今日、女性5人で
ある企画の打ち合わせを兼ねておしゃべりをして
帰ってきたら・・・妙案が思い浮かびました♪

そうだ!!
将来、義父が死んで、夫も死んだら
女性の働きやすい医院を経営すればいいのだ!!
たとえば、子育て中の女性ドクターを数人雇って
今、義父さんの住んでいる母屋を託児所に改装して
(もちろん、ナースや医療事務スタッフも利用できる)
子どもが病気の時だって看れるし
みんなが無理なく働けて、気兼ねなく休みも取れる
そんな職場を目指せばいいのだ!!

私の不安の元は、後継者として私の子どもたちが
ドクターにならなかったらどうしよう・・・というものでした。
子どもたちは、子どもたちの職業選択の自由があるのに
できれば、家業を継いでもらいたいという想いと
ドクターにならなくたって、(なれなくたって)

人として、幸福な人生を送って欲しいんだもの。

そこのところが
今日、やっとはっきりしました♪

P.S 夫が死ぬまで待たなくてもいいんだけど
   夫は、まだまだ保守的なタイプなので
   私のこのアイデアには、賛同しないと思うから
   あくまでも、現時点では、夫が死んでからの計画・・・(^^;
ちょうど一年前の今頃、義父の胃全摘出術が決り
入院に向けた準備をしていたと思うんだけど
また、同じ様な状況になってきました。

再検査の結果、転移ではなく
新しく肝臓に癌ができて
たまたま術後の検診で見つけられて
しかも、肝硬変や肝炎もないのに
癌ができたという極めてレアなケースとのこと。
いずれにしても、癌の治療が再び開始されます。

ふぅ。
また振り回される初夏が始まるのね、、。

さてと
そんな中、このブログの趣旨である
博士課程を目指すというモチベーションは
先日、医学書院から発売された
“驚きの介護民俗学”(六車由実著)
を読んで、ムクムクと膨らんできました~!!
いろんなところで書評が載ってるから
それを参考に、気になった方は読んでみてくださいね!!

やっぱりさ、何気ない日々の生活を
ただただなんとなくやり過ごすんじゃなくて
研究的視点を持って、職務をこなすことって
カッコイイし、きっと知的好奇心で心が潤うだろうなぁ。
って、思います。

だから、私も、諦めないで
研究的視点を持ち続けて
いつか、目の前にチャンスが来たときに
ひょいっと入学できるように
フットワークを軽くしておかなくちゃ!!
って、思ったのでした。

そだ、英語とかもやっておこうかな。


義父の完全復帰とともに
元気すぎるゆえ、少々、うざいと
思う日もあったのだけど
一昨日の術後1年検診で
肝臓に転移している可能性がある
ということで
来週、再検査となりました。

やっぱりね、83歳とはいえ
いつなんどき、なんかしらの
病魔に襲われてもおかしくない
お年頃だもんね。

そんな中、昨日は、会計士さんの奥さんが
年度末の報告や請求書を持ってやってきました。
私の気遣いを察して、義父の古いやり方をやめて
お嫁さん(私)のやりやすい、新しい方法で
経理をさせてあげてください!!
って、何度も何度も説得してくれました。
再発の事は、勿論知らないので
頑固爺さんを諭すように、しつこく言ってくれました。

心なしか、義父さんも
「わかった、わかった」と気弱な感じでした。

遅かれ早かれ、私が任務交代しなくちゃいけない訳だし
今回を機に、名義変更とかして
相続税対策、贈与税対策に取り掛かって欲しいです。はい。
ココだけの話。

ほんといい加減、職場のことは息子(夫)に任せて
旅行とかして、隠居生活を謳歌して欲しいです。はい。
こっちが本音です。

平成24年3月11日の試験を終えて
問題は回収されちゃうので
記憶に残ったものをメモします。

時々、テレビ見ながらとか
食器洗ってる時とか、患者さんと話をしている時に
ふと思い出すんですよね。
「コレ!出題された!」って。

*食品表示の問題
 (「低カロリー食」、「ノンカロリー」の定義など)

*心拍変動係数(CVR-R)
*ソルビトール
忘れないうちに
どんな問題が出題されたか
キーワードをメモします。

□役割・機能
(ここは、ざっとしか見てなかったので焦った箇所)
 *世界糖尿病デーはいつか
 *日本糖尿病協会設立の年
 *糖尿病協会の会員数
 *糖尿病で失明する人数/年
 *チームアプローチについて
 *日本糖尿病財団について
□糖尿病の概念と療養指導総論
(糖尿病の基本の「き」ですね)
 *診断基準
 *成因分類
 *メタボリックシンドロームの診断基準
 *治療
 *合併症
□各論
(記憶に残ったキーワード)
 *75gOGTT
 *HbA1c
 *グリコアルブミン
 *1.5-AG
 *インスリン
 *Cペプチド
 *尿糖、尿ケトン体、尿蛋白、微量アルブミン検査
 *SMBG
 *CGMS
 *眼底検査
 *食事療法(食品分類表は必須)
 *運動療法(運動の種目とMETsは必須)
 *薬物療法(経口薬の一般名・商品名は必須)
 *インスリン療法(種類と特徴は必須)
 *GLP-1受容体作動薬(新出問題)
 *急性合併症(ケトアシドーシスと高血糖高浸透圧症候群は必須) 
 *慢性合併症(3大合併症、特に神経障害は細かく出題)
□心理と行動
 *行動変化のステージ
 *習慣変容のための技法(新出問題)
□教育
□評価
 *クリニカルパス
すっかりご無沙汰していました。
そうなんです、私は新生活を送っています。
延期延期で、ドタバタでしたが
昨年、12月24日に無事に落成しました。

新しい医院、その上の階の住まいと
これまでのマンションとの併用暮らしで
何とか、家業を営んでいます。

そして、今回も
NHKの朝ドラにはまりちう・・・
糸ちゃん、かっこいいわ。
やっぱり手に職だわ。



天災続く

2011年9月6日 日常
台風12号直撃の四国でしたが
私の身近では、大きな被害もなく
普通の「雨」でした。
しかし、近畿地方では
津波のような土砂災害に
心が痛みます。

今年は、天災が起こる周期が
いくつか重なっているのかもしれません。
四国の太平洋沿岸でも
そろそろ起こる時期に差し掛かっているし
私が生きている間に
おそらく起こることでしょう。

子ども達が巣立ってしまったら
どこでどんな暮らしをしているか
守りたくても守ってやれない心境の中
大震災の時のように
無残な被害状況が次々と明らかになっていくのでしょう。

こんな世の中だもの、うつ病の患者も増えるわな。
ふぅ。

竣工延期・・・

2011年8月17日 日常
リニューアルオープンする新築診療所(兼住居)
9月末には出来上がる予定が
10月末に延期されちゃいました。

震災の影響で、工事日程に遅れがあったことに加えて
推定の使用電力量から低圧電力で行く当初の予定が
将来の大型医療機器の設置を想定して
やはり高圧電力で、変電設備も作って欲しいと
先月、夫が言い出し・・・
急遽、申請を出したり、発注をかけたりと
バタバタしている現状での致し方ない変更日程。

この半年間、いろいろあったもんなぁ。
将来の医療機器設置は
義父の恐るべき回復力に影響しています。
あのまま、義父が他界、または寝たきりになっていたら
そんな余裕はなかったのだけど
手術前と変わらぬ、体力と精神力に戻ってきて
このまま現役で働き続けるというので
それなら、夫は夫の得意分野の医療を提供するという
役割分担に落ち着いてきました。

それで、私も先月から、本格的にNs復帰しました!
今までは、医療事務や薬の袋詰めなどの
雑用ばかりでしたが
Nsらしい、採血や点滴もさせてもらえるようになりすた~
時々、失敗するけども、だいぶ、血管に刺さるあの感覚が
研ぎ澄まされてきますた~

それで、日常業務を30年以上勤続してる
おばちゃんNsと一緒にしてると
仕事って、たのしいなぁ~
なんて、思えるようになってきて
今のところ、順調な滑り出しでございます。

30年以上も働いてるおばちゃんNsの看護技術はね
そりゃぁ、もう職人技なんです。
採血や点滴や心電図検査なんかも
無駄な動きが無くて、実に要領がよくて
最小限の労力で、しかも正確に行われて
たまに失敗したとしても、さっさと処理されて
患者さんへの心配りもさりげくされていく
そんな日々の業務がほんとに見事なんです。
さらに、「どうせ働くなら気持ちよく」って感じの
モットーがあるみたいで、おばちゃんならではの
ユーモアに溢れていて、お世辞じゃなくて
ほんとに素晴らしいNsたちなんです。

私はそんなおばちゃんNsたちのことを
今まで、ず~~っと漠然と怖がっていましたが
全然、そんなことなくて、母親みたいな存在です。

義父の下で、30年以上も勤めてきてくれたことに
そして、大先輩の女性として敬意を表します。




ふっか~つ!!

2011年6月10日 日常
東北関東大震災から3ヶ月。

母の実家のみんなもとりあえず
避難所暮らしをしつつ
それぞれの新年度を向かえて
忍耐でがんばっております。

母の小学校からの大親友は残念ながら遺体が確認され
私にとっても、第2の母くらいの存在のおばちゃんだったので
実感が湧かないというか、またひょっこり上京してきて
私にもいろいろお世話を焼いてくれそうな気がしてなりません。

この3ヶ月の間
というか、3月11日に夫が父親の胃の内視鏡検査を施行したところ
早期の胃がんを発見してしまい(なんの自覚症状もないごくごく早期)
義父は、83歳にして、初めての入院・手術という経験をして
5月末に、退院して、今週から診療も再開するほど
めちゃくちゃ元気に回復しております。

この入院期間中『女家・青獅子』は、ハードな毎日を送り
どんだけゲッソリ痩せるかと思ったら
体重の増減は全くないまま、嵐のような生活は過ぎ去ってゆきました。
義父の入院により、実家が留守になってしまうのは心配だ、
義父が退院した後もしばらく一人にさせるのは心配だ、
ということで夫が単身、実家暮らしをし
私と子ども達は、マンションで3人暮らしをしていまぁ~~す*^_^*

夫在宅ストレス症候群・・・

なんて言ってた私なので
義父のお見舞いや家業の手伝いはハードだったけど
マンション生活は『ストレスフリー』でどんだけ救われたことか。

16年間の結婚生活で
今回の一ヶ月間の別居生活は、実に有意義な時間でした。
何をしたって訳じゃないけど
「何もしなくていい」という心地よい時間でした。
ありがとう。お義父さん。ありがとう。あなた。

人間の底力

2011年3月19日 日常
東北関東大震災が起こって9日目。

私の母の実家が岩手の三陸海岸沿いなので
思い切り被災しました。
(母は現在、東京に在住)
幸い、親戚たちは命からがら避難しましたが
母の友人たちの行方は不明とのことです。

ちなみに、母も50年前チリ地震による津波を経験していて
母の兄は、今回の津波被害と合わせて生涯に二度も経験したことになります。
きっと、そんな人が三陸地方には何人もいるのでしょう。

しかし、あの頃には、原発もなかったでしょうし
テレビの中継もされてなかったでしょうし
救援活動もこれほど大掛かりにはされていなかったでしょう。
人々の知らないところで、難しいことは
専門家や政治家という人が決めていってしまっても
50年前は、それでも自分達の力で町を再構築できたのでょう。
でも今回の大震災は、当事者だけでは立ち直れない
複雑なシステムの中に組み込まれているように思います。

今の複雑なシステムの中にいる小さな人間より
50年前の人間の方がきっと生きていくための技能が優れているでしょう。

一体、なぜ私たちの生活はこんなに細分化されてしまったのでしょう


東北に誰も住んでいなくて、原発だってなければ
単に、地震が起きて津波が襲ったリアス式海岸というだけのなのに
人間が住むことで、人間にとって害を及ぼす事象だかこそ災害というわけでしょう。
それでもなお、人間は自然の脅威に立ち向かって生きていく道を、選ぶのでしょう。

4ヶ月ぶり!!

2011年2月16日 日常
すっかりこっちのブログは
ご無沙汰になってしまいました。

いろんなことがあるようなないような。

夫の在宅時間が異常に増えたお陰で
いわゆる
夫在宅ストレス症候群ってやつですね。
子ども達が乳幼児の頃なんて
月に1週間も居なかった人が
非常勤生活になって
日・月・金amと家に居て
「一緒に山登りに行こう」とか
「○○を買いに付き合って」とか
ほんと、うざいね。
っていうか、子ども達が巣立っていったら
こういう生活が毎日続くのかと思うと
ほんと、怖いね。

そして、新居と診療所の建設もいよいよ始まり
義父と夫と私の三角関係がよりピリピリしてきちゃって
家出してみたい衝動にかられます。
はぁ。
なんだかなぁ。。。
子ども達は、一歩一歩大人の階段を昇っているというのに
大人たちは、階段から突き落とさんばかりの揚げ足取り。

私このままここでお婆さんになっていくのかしら・・・




1 2 3 4 5 6 7 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索