人間の底力

2011年3月19日 日常
東北関東大震災が起こって9日目。

私の母の実家が岩手の三陸海岸沿いなので
思い切り被災しました。
(母は現在、東京に在住)
幸い、親戚たちは命からがら避難しましたが
母の友人たちの行方は不明とのことです。

ちなみに、母も50年前チリ地震による津波を経験していて
母の兄は、今回の津波被害と合わせて生涯に二度も経験したことになります。
きっと、そんな人が三陸地方には何人もいるのでしょう。

しかし、あの頃には、原発もなかったでしょうし
テレビの中継もされてなかったでしょうし
救援活動もこれほど大掛かりにはされていなかったでしょう。
人々の知らないところで、難しいことは
専門家や政治家という人が決めていってしまっても
50年前は、それでも自分達の力で町を再構築できたのでょう。
でも今回の大震災は、当事者だけでは立ち直れない
複雑なシステムの中に組み込まれているように思います。

今の複雑なシステムの中にいる小さな人間より
50年前の人間の方がきっと生きていくための技能が優れているでしょう。

一体、なぜ私たちの生活はこんなに細分化されてしまったのでしょう


東北に誰も住んでいなくて、原発だってなければ
単に、地震が起きて津波が襲ったリアス式海岸というだけのなのに
人間が住むことで、人間にとって害を及ぼす事象だかこそ災害というわけでしょう。
それでもなお、人間は自然の脅威に立ち向かって生きていく道を、選ぶのでしょう。

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