実は私、子どもの頃、左目が弱視でした。
小学校低学年〜4,5年生頃まで毎日のように眼科通院してました。
“眠ってる目のしんけいを起こしてあげようね”
と、いつも眼科の女性の先生は説明してくれていたので
“早く起きてくれないかな〜わたしの目のしんけい”
と、思いながら、左目に光線を当てる治療に通っていました。
0.8くらいまで視力が上がってきた頃
今度は右目が近視で視力が下がると共に斜視が目立ってきたので
中学2年生の冬と3年生の春に某大学病院眼科でOpeをしたのでした。
その入院生活をきっかけに、私はNs.を志すようになったのだけど
な、な、なんと、その某大学医学部に夫は通っていたのでした。
(私が入院していた時、彼は19歳すなわち医学生だった
赤い糸はその頃、繋がったと考えられる。爆)
それは置いといて
私が小学生だった頃、登下校中に必ず訓練中の盲導犬に遇う環境だったので
視覚障害者さんも日常的に目にしていました。
それは、日本盲導犬協会が近所にあったからで
今思えば、すごく恵まれたというか珍しい環境だったんだなって想うのね。
ちなみに香川県内で盲導犬はたったの7頭しかいないらしい・・・
それからそれから
Nさまは、点字図書館で小説(音声CD)を借りてきて
毎日5時間程度の読書を楽しんでいると話していたんだけれど
その点字図書館って・・・
私が高校生の頃、必ず点字図書館の前を通ってバイト先に行っていたのでした。
ふむむ。なんだかなぁ〜って想うのね。
小学校低学年〜4,5年生頃まで毎日のように眼科通院してました。
“眠ってる目のしんけいを起こしてあげようね”
と、いつも眼科の女性の先生は説明してくれていたので
“早く起きてくれないかな〜わたしの目のしんけい”
と、思いながら、左目に光線を当てる治療に通っていました。
0.8くらいまで視力が上がってきた頃
今度は右目が近視で視力が下がると共に斜視が目立ってきたので
中学2年生の冬と3年生の春に某大学病院眼科でOpeをしたのでした。
その入院生活をきっかけに、私はNs.を志すようになったのだけど
な、な、なんと、その某大学医学部に夫は通っていたのでした。
(私が入院していた時、彼は19歳すなわち医学生だった
赤い糸はその頃、繋がったと考えられる。爆)
それは置いといて
私が小学生だった頃、登下校中に必ず訓練中の盲導犬に遇う環境だったので
視覚障害者さんも日常的に目にしていました。
それは、日本盲導犬協会が近所にあったからで
今思えば、すごく恵まれたというか珍しい環境だったんだなって想うのね。
ちなみに香川県内で盲導犬はたったの7頭しかいないらしい・・・
それからそれから
Nさまは、点字図書館で小説(音声CD)を借りてきて
毎日5時間程度の読書を楽しんでいると話していたんだけれど
その点字図書館って・・・
私が高校生の頃、必ず点字図書館の前を通ってバイト先に行っていたのでした。
ふむむ。なんだかなぁ〜って想うのね。
コメント
盲導犬協会が近くにあったのもスゴイですね。大阪の中心部に住んでても(だから?)介助犬を見る事なんてごく稀ですよ。ニーズはすごくあるのにね。
そそ。別に視覚障害者さんをヘルプしたくてガイドヘルパーになったんじゃないんだけど
視覚障害者さんとの関係は、実は子どもの頃から始まっていたのかもしれないね。
赤い糸の話も、ほんと笑っちゃうよね〜